(サムネイル画像は2018.5.24肝切除術前の様子)

 

父の告別式当日私は初めて父が3男だと知りました。

次男だと思っていたのです。

小さくして次男さんは亡くなられていました。

4人兄弟の末っ子だったのです。

父は自分が子供のころの話や昔話はまったくしませんでした。

わたしも父と遊んだ記憶がまったくありません。

優しくしてもらった記憶もまったくないのです。

勉強ができなくて叱られた記憶のみ。笑

 

父より一回り年上の叔母はご健在で赤磐市の近くに住んでいらっしゃいます。

入院されてた病院へお見舞いに行かせてもらった時も、

一回り年下の父の心配ばかりしてくれていました。

大学卒の弟が自慢の叔母。

叔母から祖父や祖母、父の話をよく聞きました。

祖父と祖母とは小学5年生の頃から同居していたので、

記憶があります。

祖父は教育熱心だったようです。

可愛い弟(父)の手を引いて(戦争の中生き延びたこと)、

何度も修羅場を凌いできたことなど話をしてくれました。

 

父の告別式は、父の遺言通り執り行いました。

9字院号を希望してることには正直びっくりしましたが、

父の遺言通り9字院号にしたことだけお伝えします。

が、

まだまだなんと言うか、この先の事があるのでここではお伝えできないので、またの機会という事で。笑

 

遺言の中で、「故人の経歴、功績」の意向も明確でした。

地元で小中高卒業して、

立命館大学 理工学部 化学科卒、

〇〇〇〇〇株式会社 開発に従事。

〇〇〇〇導入により、

関連ビジネスにおいて会社の売上向上に貢献。

これだけでした。笑

 

人からどのように見られたいか?にまっすぐな人だったと思います。

娘の私からすれば、地域で老人会の会長したり、

大学に通ってボランティアしたり、

他にあっただろうに、、、と、思うのですが、

父にとっては、化学者で開発に従事して会社の売上に貢献した時代がすべてだったのかなーと、思います。

 

入院してるベッドの上で最後に言った事が、

「〇〇さんは〇〇大学卒」って事を教えてくれました。笑

「お父さん、頭冴えとるなー」が、私が最期に父との会話になった言葉です。

 

やりたいことして、

食べたいもの食べて、(退職後は食事作り担当)

自分の知識を周りの人に喋って、

自分で病気と向き合って、

最先端医療を試して、

有名な医師と対等に話して、

自分の最期を自分で決めて、

あっぱれな父であったことは確かですっ!!

 

学歴と教養がすべて

 

だった父。

 

ちょうど1年前、肝切除術前に入院してすぐ図書館で本を借りて読んでる姿です。笑

 

 

感性で生きてる私とはまったく合わなくて、

育てるのも大変だったことでしょうー。

(あ、でも私たちが一番の成長期の時、東京、大阪、名古屋など単身赴任で10年以上家には居なかったのでそうでもないかもしれませんねー。笑)

 

あの世でも心配してるかもしれませんねー。

学歴ないからわたし。笑

 

今のところ大学にいくつもりはありませんけど、

「大学行きたくなったら大学に行きなさい!」と言い続けた両親。

あなた方の娘に生まれて、誇りに思ってます。

 

長女に選んでくれてありがとーー。

なんてね。笑

 

今日は最近はまってる曲を。

原由子さんの「花咲く旅路」です。

昔の曲ですけど良いです。

聴いてみてねー。

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杉本 清美

杉本 清美

岡山市の最北西部田んぼに囲まれて、でんきやオカンしてます。子どもが自立したのでこれからは好きな仕事をしながら、好きな人に囲まれていつもニコニコ笑顔で生活したい!って思ってる55歳。